西立川おとなとこどもの
クリニックのブログ

生きるということ

世界はこの1年ですっかり変わってしまいました。

そしておそらく、コロナが収束したとしても、以前のような世の中には戻れないような感じがします。

感染症の脅威はコロナ以外にも予想されますし、今後も繰り返し同様の事が起きる可能性もあります。

日本国内で言えば、地震や台風など、昔には考えられないような規模で災害が発生しており、今後さらにそのリスクは大きくなることが予想されます。

少子高齢化が進み、年金は減らされ税金は上がり、終身雇用は無くなり、安定した生活を望むのが難しい時代となっています。

この先明るい材料が見つけられない今、私達は何を心の支えに生きていけばよいのでしょうか?

クリニックにも、辛い気持ちを抱えて相談される方が大勢いらっしゃいます。

時には深刻で、自らの命を断とうと考えた事を打ち明けられる方もいます。

診療中はお話しに耳を傾けて共感し、安全な薬を処方して、どうか来月も必ずお顔を見せてくれるようにお願いすることしかできず、自分の無力さに歯痒さを噛み締める日々です。

人はなぜ生きるのか?

多くの先人がその答えを模索し、言葉や芸術や宗教、哲学で表現してきました。

でも最近、自分自身で、なぜ?が見つけられないこともあるのでは?と考えるようになりました。

生きていくための生きがいとか、希望とか、守るべきものとか、他者に必要とされることとか、そういうものが全く無かったら、生きていく意味はないのだろうか?と。

ただ、淡々と意味も無く毎日生きていく人生でもいいのではないか

今日一日生きることだけ考え、明日から先のことはなるべく考えないようにし、とにかく今日一日生きて夜なんとかして眠って次の日の朝を迎えること、それを積み重ねていけばよいのではと思ったりします。

死んでしまいたいともし思っているなら、綺麗事は言えない、この先明るく楽しい未来なんて無いかもしれない、この先もずっと辛いことの方が多いかもしれない、それでもわがままかもしれないけど、やっぱり生きていて欲しい、生きていたら何か感じることのできる風景が広がっていると、根拠のない想像を押し付けてしまいたくなるのです。

ある精神科の先生がネットで、「手放せば幸せになれる」と書いていたけれど、それが出来ないから苦しむんだと思うのです。

でも手放せないまま、背負ったまま、死ぬのではなく生きていって欲しい。

ずるずる引きずって、傷だらけになっても、ずだボロになっても生きて行ったら、また明日の陽が昇り新しい景色が見えてくる、そして幸せそうに見える隣人も、案外色々なものを背負っていたりするかもしれないのです。

診療時間は限られており、心療内科としてお受けできる人数は限られており、自分自身の非力を実感する毎日です。

自分自身も悩み苦しんで今の日々を生きています。

どうかみなさんの心に安らぎの光が降り注ぎますように

今夜だけでも穏やかな気持ちで眠りにつけますように

そして明日も生きていけますように…

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